女川町 を出たあと気仙沼市へ向かい、最後は 陸前高田市 。
道中、“過去の津波浸水区間”という標識が多く見受けられます。
こちらに積み上がってる土嚢袋は、現在施工中の堤防の想定高さ。
海が見えなくなってしまうのは残念ですが、津波のことを考えれば仕方ありません。
どうやら陸前高田市に着いたみたいです。
復興には程遠く、瓦礫の撤去や整地作業の真っ最中です。
積み上げられた瓦礫。
それを運ぶトラック。
かなり広範囲が整地されていましたが、今でも震災の傷跡は残ってます。
こちらは公団のアパートでしょうか。
5階建の建物が5階の床辺りまで津波に飲み込まれたようです。
畳が持ち上がって窓から飛び出してるので、波が被ったのではなく完全に水没してますよね。
ガソリンスタンドの看板。津波の高さがリアルに分かります。
そして象徴的だったのがこちらの道の駅。
震災後に造られた追悼施設もありました。
お亡くなりになった方々を思うと言葉がありません。
鉄骨や鉄筋、そしてコンクリートもこんなに脆いものかと。。。
地盤が低いところには津波浸水区間という標識があります。
この道路も何度も舗装を嵩上げしてるようです。
工事現場の方が教えてくれたのですが、この辺りは満潮になると水位が上がり過ぎるため、陸地も海水が溢れるとの事。
側溝も既にこの通り。
15:30を過ぎると特に水位が高くなるので、車の場合は気をつけるよう教えていただきました。
場所によっては駐車場も海水に飲まれてくるという。
この地を後にしようと車を停めてカーナビをセットしていると、正面が駅でここは駅前ロータリーだったみたいです。
振り返ると駅前通り。跡形もありませんが、そういう目で見ると何となくイメージできます。
あちこちに立っていたこのポスター看板。
心から取り戻したいと思いました。
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